釉色(ゆうしょく)
てんせいいろは単なる一つの色ではなく、一つの色帯です。宋の人々が汝窯青磁について話すとき、てんせいいろ、淡いてんせいいろ、卵白のような色などとその色を表現します。
このように非常に曖昧な概念で定義するのは、宋代の汝窯の色が自然界の現象を元にして作られているからです。てんせいいろは実際には空の色です。
見上げると、地平線から空の色が絶えず変化していることに気づきます。ですから、てんせいいろは一つの色ではなく、一つの色帯なのです。
現在の窯跡の発掘や博物館に展示されている伝世の汝窯青磁を見ても、完全に同じ釉色の作品は二つとありません。
これほど多くの異なる青色が生じるのは、主に汝窯の焼成過程で窯内の温度変化により、器の表面の釉色も不確定な自然変化を遂げるからであり、この過程が「窯変」と呼ばれます。
したがって、汝窯を鑑賞する際には、事前に「青」色を基準として定義する必要はありません。自然の色は元々多様なのです。
色に比べて、汝窯の精髄はむしろその玉のように温かみのある釉質にあります。
中国人は玉を尊び、玉は君子のものであるため、宋代の人々は特に汝窯を愛しました。
「てんせいいろ」
汝窯青磁はメノウを釉薬に入れており、主にてんせいいろを主体としています。メノウが釉薬に入ることで、釉面に異なる角度で斜めに開く大小不一の気泡が生じ、異なる照明や角度の下で色が変化します。
明るい光の下では、色は青みを帯びた黄色で、雨後の晴れた空の青い空のようです。暗い場所では、その色は青みを帯びた青で、澄んだ湖水のようです。
「冬青」
冬青釉は「釉面の温潤」、「釉層の透徹」、「冬青釉色」、「自然の金縁」の四つの汝窯の特徴を一つの器物に集約させることを追求しています。
金縁とは、汝窯の器の口縁、底足、角縁に分布する金色の口縁線を指し、これは人工的に描かれたものではなく、焼成過程で自然に形成されたものです。
強い光の下では、冬青釉の色は「白に近い黄色」で、弱い光の下では冬青釉の色は「白に近い青」です。
窯から出たばかりの冬青釉は割れ目が多く、割れ目の進行が速いですが、後期にも引き続き割れ目が進行し、長期間にわたって割れ目が進行します。
「天藍」
天藍釉は天青から進化したもので、釉色は浅くて青みがかり、透明感があり優雅です。17世紀にフランスの舞台劇で、主人公のサラオンが汝窯の天藍釉に似た色の衣装を着ており、観客に非常に好評だったため、以降、汝窯はヨーロッパでもサラトンと呼ばれるようになりました。「天青は貴く、粉青は尚、天藍はさらに珍貴」と称されています。
「豆绿」
淡い豆緑色の釉は半透明で、その色は新鮮なエンドウ豆のように瑞々しく、非常に美しいです。
釉色が透けているため、胎の上に彫刻や装飾を施すことができます。多くの豆緑釉の汝窯には、泳ぐ魚や花卉、水波紋などが刻まれ、活気に満ち、独特です。
光が強い時、釉面の石英小粒子が白光を反射し、この時の釉色は「緑に近い白」です。光が弱い時は釉色が緑に近づきます。
豆青釉の汝窯は窯から出たばかりの時は割れ目が多く、割れ目の進行が速いですが、後期の使用過程でも割れ目が進行し続けます。
「月白」
月白は元々古代の織物の色の名前で、色は浅い青と中程度の青の間に位置します。
宋代には月白釉は汝窯の釉色の一つとして使われ、釉色は乳白色で天青よりも淡く、主に鉄の化合物が着色剤として使われ、釉質はやや厚く、まるで明るい月のようにぼんやりしています。
光が十分にある時、その釉色は脂のように滑らかで、玉のように輝き、淡い光沢を放ちます。光が弱い場所では、その釉色はまるで暗闇の中の宝石のように静かで自然でありながら、ふとした瞬間にその輝きと貴重さを見せます。
「粉青」
粉青の発色原理は、主に「胎体中の鉄含量が高い」と「釉層中の鉄含量が低い」ことに由来し、これら二つの部分が相互に影響し合い、釉面の色を粉青色にします。
異なる光条件下で、粉青釉の色合いも異なり、光が強い時は粉青釉の色が白に近く、光が弱い時は釉色が青に近づきます。
汝窯の粉青釉は窯から出たばかりの時は割れ目が少なく、使用過程で徐々に割れ目が進行します。その割れ目の特徴は、まず大きな割れ目ができ、次に小さな割れ目ができ、割れ目の進行が遅く、不均一で、長期間にわたって進行し続けます。